2014年 02月 16日
KOKON改装の2年前 その1 |
10年前の今ごろ、私は悩んでいました。
2000年に始めたセントラルのKOKONオリジナルは最初順調でしたが、2002年の秋から少しずつジェームスを含めたエージェントと離れ始め、翌年には私が直接セントラルへのオーダーを行うようになっていました。
しかし、工場とのオーダーの話し合いはなかなか上手く行きませんでした。
また、2002年の春から始めた高野とのハンドメイドラインは秋頃にエージェントと離れて、これもまた私と高野と直接の仕事の話し合い(オーダー)となりました。
(セントラルと高野は同じエージェントでした)
初めて2人だけで喫茶店で会った時の彼の名言があります。
お互いぎこちなく相対していた時、彼は少し照れながら
「俺は、、、拾われた恩を徒(あだ)にする男じゃありませんよ。」
と言いました(他の業界の人?)。
それから毎月、彼の仕事場(屋根裏部屋)のある彼の実家の街で、私は彼と待ち合わせて仕事を依頼しました。
私が高野とのオリジナルハンドメイド靴製作を決めたきっかけは、
ジェームスらのエージェントに勧められた事もありますが、当時私はお客様に靴は売れても(そのお客様が)感動までされていない事への疑問と不安がいつも頭にありました。
ハンドメイド靴のサービスをすることがイコール、オーダーメイドを提供することだと私はまだ少しでしたが感じていて、
「そこに何かがあるかもしれない。。。いや、やるべきなのかも!」と大きな決断をしました。
そして彼に靴をオーダーして、店に並べ始めた時、私以上に一般のお客様方の方が「オーダーメイドでしょ!」と私に向かって来られました。
私はその運命に自分を委ねるようにお客様に対応して行きながら、靴を通じたサービスの確立に全てを尽くし始めました。
また8月には初めて島根県の益田市のレフティーズレザークラフトを訪問し、レフティ見国さんとその息子ヨウちゃんと出逢いました。
それまでの大阪ファニーとの取引に加え、レフティの輸入するバックルやブーツ、そしてハンドカーヴィングされたオリジナルハンドメイドレザーグッズを取り扱う事になりました。
そして翌年の春、またひとつ運命の出逢いが待っていました。
2002年頃のKOKONの店内。
セントラル製のオリジナル、高野によるオリジナルハンドメイド、そしてベルギーのアンビオリクス社のエンバシーブランドが並ぶ。
当時ベルギー製はまだKOKONのブランドではなかった。
突き当たりの壁がまだあり、その前にデスクがある。
壁の奥に2階に上がる階段があった。
ルケーシーのブーツ、アレンエドモンズ、安藤製靴のKOKONオリジナル、シミズフットウェアのKOKONオリジナルワラビーがある。
「なつかし〜〜〜っ!」
高野の仕事場にて。屋根裏だと分かりますよね。
レフティ見国さんと一緒に。2002年8月21日益田にて。
事務所などが入るアパートのような建物に、この部屋があった。
「なつかし〜〜〜っ!」
私とKOKONの宝物。高野の製作第1号だ!
2001年12月の作。翌年の2月に年季明けをしてKOKONの製作が始まった。
2000年に始めたセントラルのKOKONオリジナルは最初順調でしたが、2002年の秋から少しずつジェームスを含めたエージェントと離れ始め、翌年には私が直接セントラルへのオーダーを行うようになっていました。
しかし、工場とのオーダーの話し合いはなかなか上手く行きませんでした。
また、2002年の春から始めた高野とのハンドメイドラインは秋頃にエージェントと離れて、これもまた私と高野と直接の仕事の話し合い(オーダー)となりました。
(セントラルと高野は同じエージェントでした)
初めて2人だけで喫茶店で会った時の彼の名言があります。
お互いぎこちなく相対していた時、彼は少し照れながら
「俺は、、、拾われた恩を徒(あだ)にする男じゃありませんよ。」
と言いました(他の業界の人?)。
それから毎月、彼の仕事場(屋根裏部屋)のある彼の実家の街で、私は彼と待ち合わせて仕事を依頼しました。
私が高野とのオリジナルハンドメイド靴製作を決めたきっかけは、
ジェームスらのエージェントに勧められた事もありますが、当時私はお客様に靴は売れても(そのお客様が)感動までされていない事への疑問と不安がいつも頭にありました。
ハンドメイド靴のサービスをすることがイコール、オーダーメイドを提供することだと私はまだ少しでしたが感じていて、
「そこに何かがあるかもしれない。。。いや、やるべきなのかも!」と大きな決断をしました。
そして彼に靴をオーダーして、店に並べ始めた時、私以上に一般のお客様方の方が「オーダーメイドでしょ!」と私に向かって来られました。
私はその運命に自分を委ねるようにお客様に対応して行きながら、靴を通じたサービスの確立に全てを尽くし始めました。
また8月には初めて島根県の益田市のレフティーズレザークラフトを訪問し、レフティ見国さんとその息子ヨウちゃんと出逢いました。
それまでの大阪ファニーとの取引に加え、レフティの輸入するバックルやブーツ、そしてハンドカーヴィングされたオリジナルハンドメイドレザーグッズを取り扱う事になりました。
そして翌年の春、またひとつ運命の出逢いが待っていました。
セントラル製のオリジナル、高野によるオリジナルハンドメイド、そしてベルギーのアンビオリクス社のエンバシーブランドが並ぶ。
当時ベルギー製はまだKOKONのブランドではなかった。
突き当たりの壁がまだあり、その前にデスクがある。
壁の奥に2階に上がる階段があった。
「なつかし〜〜〜っ!」
事務所などが入るアパートのような建物に、この部屋があった。
「なつかし〜〜〜っ!」
by kokon-y
| 2014-02-16 10:00
| Diary