2014年 02月 19日
水中の雪 |
今月の初め、東京ミーティングから帰ると悲しい知らせがありました。
知人、いや、、、とても良くして頂いた藤井肇さんが亡くなられたのです。
享年80歳でした。
葬儀は広坂の教会で執り行われるとのことで、出掛けましたが、
私は教会での葬儀が初めてでした。
藤井さんとは18年前、私がKOKONを始めて1年くらいの時に店の近くの居酒屋「りばあ亭」で初めて逢いました。
「何い?靴屋をやっとるんか〜!」
声の大きな藤井さんはオヤジギャグをバンバン飛ばして周りでひときわ目立った存在でした。
後で、県議会議員をされてたのだと人から聞きましたが、
私はりばあ亭の店の中の壁にぴったりとハマった「チェルノブイリ」という名の
真っ黒な油絵が藤井さんの作品で、それを店に入れる為に柱を1本切ったという
マスターの修ちゃんに興味がいっぱいでした。
修ちゃんは陶芸をしていて、自作の壷に椿を生けて小上がりのテーブルに置き、
「う〜ん、バックがイイと花が生きるな〜」と、
よく藤井さんのチェルノブイリを背景にしてからかっていました。
「ワシの作品はあんたのバックか!」と藤井さんの逆襲が始まり、
修ちゃんの作品や他の全てに言いがかりがつけられ、いつも店内は笑いが絶えませんでした。
私は当時、事情があり、店が終わってからほとんど毎晩そこで夕食をとっていました。
私にとってりばあ亭で過ごす時間はとても大切な物であり、
いつも元気になって店に帰り寝ていたように思います。
ある日藤井さんが店に来られて
「こんな高級な靴、ワシゃ買えんぞ!」と言いながら、頻繁にブーツや靴を購入してくれました。
近年ではよくデリケートクリームを車で乗り付けては買ってくれました。
それが1〜2週間で「無くなった」と言ってはしょっちゅう買いに来られるので、
「食べているんじゃないの?」と私も修ちゃんばりに藤井さんにつっこんでいました。
それも、もう来られる事はないのですね。
今朝、雪の中、近所の鈴木大拙館に出掛けました。
それは企画展「大拙をめぐる人々」で展示されている鈴木大拙が書いた
安宅彌吉の碑の拓本を今一度読みたかったからです。
「過ぎた事を常に捨て去って来た。。。」という内容の所に私は感じる事があったようで、
ショーケース内にかかっている拓本の全文を読んでから
「水鏡の庭」を眺める外の回廊に出ました。
まだ雪が降っていてとてもきれいでした。
私は最初、軒から落ちる水滴が作る不揃いな波紋を眺めていたのですが、
その先に目を移すと水面の全てに雪が降り落ちるのが
まるで、雪が吸い込まれているように思えました。
そして水面に映る景色に私は何かを感じました。
それは水面の中の木々や空ではなく、動く雪を見たのです。
水面の中の世界の雪はまるで空に吸い込まれて行くように現実の降りて来る雪と重なっていました。
私には雪が対流しているようにも感じられました。
教会には雪の中、たくさんの人が葬儀に参列していました。
そこで、神父様は藤井さんは天に召され、復活するのだと言われました。
今日私は広く深い水の中から絶え間なく空にわき昇る雪を見ながら
「ココンちゃん!ココンちゃん!」と言って笑う藤井さんを思っていました。
そしてまたひとつ私のこの世の旅の覚悟がありました。
「藤井さん、有り難う!」
知人、いや、、、とても良くして頂いた藤井肇さんが亡くなられたのです。
享年80歳でした。
葬儀は広坂の教会で執り行われるとのことで、出掛けましたが、
私は教会での葬儀が初めてでした。
藤井さんとは18年前、私がKOKONを始めて1年くらいの時に店の近くの居酒屋「りばあ亭」で初めて逢いました。
「何い?靴屋をやっとるんか〜!」
声の大きな藤井さんはオヤジギャグをバンバン飛ばして周りでひときわ目立った存在でした。
後で、県議会議員をされてたのだと人から聞きましたが、
私はりばあ亭の店の中の壁にぴったりとハマった「チェルノブイリ」という名の
真っ黒な油絵が藤井さんの作品で、それを店に入れる為に柱を1本切ったという
マスターの修ちゃんに興味がいっぱいでした。
修ちゃんは陶芸をしていて、自作の壷に椿を生けて小上がりのテーブルに置き、
「う〜ん、バックがイイと花が生きるな〜」と、
よく藤井さんのチェルノブイリを背景にしてからかっていました。
「ワシの作品はあんたのバックか!」と藤井さんの逆襲が始まり、
修ちゃんの作品や他の全てに言いがかりがつけられ、いつも店内は笑いが絶えませんでした。
私は当時、事情があり、店が終わってからほとんど毎晩そこで夕食をとっていました。
私にとってりばあ亭で過ごす時間はとても大切な物であり、
いつも元気になって店に帰り寝ていたように思います。
ある日藤井さんが店に来られて
「こんな高級な靴、ワシゃ買えんぞ!」と言いながら、頻繁にブーツや靴を購入してくれました。
近年ではよくデリケートクリームを車で乗り付けては買ってくれました。
それが1〜2週間で「無くなった」と言ってはしょっちゅう買いに来られるので、
「食べているんじゃないの?」と私も修ちゃんばりに藤井さんにつっこんでいました。
それも、もう来られる事はないのですね。
今朝、雪の中、近所の鈴木大拙館に出掛けました。
それは企画展「大拙をめぐる人々」で展示されている鈴木大拙が書いた
安宅彌吉の碑の拓本を今一度読みたかったからです。
「過ぎた事を常に捨て去って来た。。。」という内容の所に私は感じる事があったようで、
ショーケース内にかかっている拓本の全文を読んでから
「水鏡の庭」を眺める外の回廊に出ました。
まだ雪が降っていてとてもきれいでした。
私は最初、軒から落ちる水滴が作る不揃いな波紋を眺めていたのですが、
その先に目を移すと水面の全てに雪が降り落ちるのが
まるで、雪が吸い込まれているように思えました。
そして水面に映る景色に私は何かを感じました。
それは水面の中の木々や空ではなく、動く雪を見たのです。
水面の中の世界の雪はまるで空に吸い込まれて行くように現実の降りて来る雪と重なっていました。
私には雪が対流しているようにも感じられました。
教会には雪の中、たくさんの人が葬儀に参列していました。
そこで、神父様は藤井さんは天に召され、復活するのだと言われました。
今日私は広く深い水の中から絶え間なく空にわき昇る雪を見ながら
「ココンちゃん!ココンちゃん!」と言って笑う藤井さんを思っていました。
そしてまたひとつ私のこの世の旅の覚悟がありました。
「藤井さん、有り難う!」
by kokon-y
| 2014-02-19 16:17
| Diary