2013年 01月 17日
作り手と使い手 |
15日、粉雪舞い散る中、近くの神社の左義長に出掛けて来ました。
近年は左義長が所々で日が違うようなので、金沢でも14日、15日と2日間行った神社もありましたが、皆さんの所はどうなのでしょうか。
しかし、正月から七草、成人式、左義長と行事を終えるごとに新年に入った実感が湧いて来ますね〜、
ところで、今朝食事をすませてテレビを観ていると、旅番組で大阪堺市を紹介していました。
案内人は30代の男性で、その人は代々続く、刀・包丁鍛冶の家の一人娘と結婚して職人としてその道に入り、5年目だと言う事でした。
その家は日本で最初にフグをさばく包丁を作ったそうで、京都出身のその若者は「その後、他の人達に真似されまして。。。」と言う内容をはんなりと柔らかく話していた。
その後、彼は包丁のお客さんでもある行きつけの寿司屋に行き、大将の握ったコハダを食べながら「いつもうちの包丁を使って頂いて有り難うございます。使い勝手はどうですか?」
とたずねた。
大将は「まあ、ええ塩梅やね」と答えていたが、2人は今では良く呑みに行く間柄で、若き職人はいつも大将から指導されているらしかった。
私はその場面で何度も「作り手と使い手」と言う言葉を耳にした。
私は彼らが潔く、とても爽やかに思えた。
特に包丁鍛冶職人の若者は直接、大将に礼を述べ、使い具合を聞けば対応を迫られる場面もあるはずで、その姿勢が気持ち良かった。
私が自分の店でオリジナルを展開して十数年になりますが、当初、東京の安藤製靴にも製作を依頼していました。私はデザイン(型紙)、革、色、ソール等を指定して、出来上がった靴を店で販売し、地元タウン雑誌に広告も出しました。
そして当時のエージェントのWとともに、安藤製靴のショップをたずねては、お客様の反応やそれを含めた要望を安藤さん夫妻に伝えました。
安藤さんはとても喜んで下さると同時に、私には何かとても戸惑っていらしゃった様に感じました。
それは私が製造に関して素人で、靴型や金型などの設備投資やロットをこなして行く事への実現が困難に思われたのかも知れません。それはセントラルでも同じ事で、時々話しも聞いてもらえない事がありました。(今でも同様な事があるようで、ジェームスのおかげで靴が作れています。ジェームス有り難う!頑張ってくれ!)
私がちょうど、「使い手と作り手」の間で悩んでいた時に「ハンドメイド靴を扱ってみないか?」と話しがありました。
それは2001年の秋頃で、職人は師匠のもとから春頃に年季明けする予定だと言う事でした。
そしてその職人が高野圭太郎でした。
私はその日から真剣に悩みました。
当時、ハンドメイド靴は9分仕立てのパターンオーダーで¥78,000からしましたし、ラスト開発と設備投資、デザインや革等も1から決めなくてはならず、特に私は「どうせならお客さんが喜ぶよい革で作ったら。。。」と革の勉強と調達も自分の仕事と思い込んでしまい悩みに悩みました。
そして「使い手」と本当に真剣に向き合いながら,この道を進む事が出来るのなら、「作り手」であるこの若い職人と共に私が勉強して行かなければならないのではないかと決心して、エージェントに彼の1足目のサンプルを依頼しました。
それから私は「作り手」の高野と共に靴作りを通して多くの事を学びました。
そして「使い手」である沢山のお客様とのやり取りの経験も私の「身」になりました。
その後、「アバンティ」を創業する川村さんと出逢い、靴職人の常世田哲とも出会う事が出来ましたが、私は相変わらず「使い手」の要望、反応を通じて「求められるであろう内容」の企画をジェームスに(セントラル)、高野に、常世田に、見国さんに、ファニーに、ベルギーに、R&Dに、革問屋や革メーカーに伝え、依頼し、
それから「使い手」のお客様には様々な依頼に応えると共に、職人達の技術の素晴らしさや彼らの(私達の)苦難、革加工、靴加工の現状、革製品を長く大切に使う為の方法など、沢山の事について伝えています。
また時々、「革(皮)は動物の命の一部」で長く大切に愛着をもって使う事への意味と価値を話します。
アバンティ川村さんや店のスタッフには「作り手」と「使い手」の両方のことについて話しています。
高野と小松君が「クレマチス銀座」を開いてから、今でもずっと高野の靴の多くの「使い手」の皆さんがクレマチスに来店され、彼の靴のことについて楽しそうに話して行くそうです。
私はそれを聞かされるたびに「仕事をしているのに時間を取らせて悪いね。。。」と思っていましたが、高野も嬉しそうなので、最近は私も平気になりました。いや、むしろ嬉しいです。
クレマチスを始めたばかりの高野が沢山の「使い手」直接会って話しをする事は「作り手」として一度に沢山の勉強になったに違いありません。常世田にも同様の緊張した楽しい経験が出来る事をいつも祈っています。
「作り手」の皆さん、皆さんの事はちゃんと「使い手」の皆さんに伝わるように一所懸命対応していますよ〜!皆さんの思いまでがどれだけ伝わっているか分かりませんが、、、い〜や!絶対に伝わっているのです。だって皆さんのおかげで私達の所に対応を信じる人達が沢山リピートしてくれて、新しいお客様も増えているのですから。
学生時代、友人の西房君が日大の芸術学部に在籍中、私はそこの学園祭で初めて手相を見てもらいました。
「あなたは色んな所へ行き来する仕事を持ちます」と言われ、当時教員を目指していた私は「ツーリストになるのかな、俺?」と思ったものでした。
私があちこちへ動くのは当然の仕事です。それは「作り手」の皆さんのおかげで私の願いが叶うのですから。
それは悩みや不安をかかえていたり、嬉しそうに期待に満ちた顔をして、私の店のドアを開けて来る人達を私は愛してやまないからです。
近年は左義長が所々で日が違うようなので、金沢でも14日、15日と2日間行った神社もありましたが、皆さんの所はどうなのでしょうか。
しかし、正月から七草、成人式、左義長と行事を終えるごとに新年に入った実感が湧いて来ますね〜、
ところで、今朝食事をすませてテレビを観ていると、旅番組で大阪堺市を紹介していました。
案内人は30代の男性で、その人は代々続く、刀・包丁鍛冶の家の一人娘と結婚して職人としてその道に入り、5年目だと言う事でした。
その家は日本で最初にフグをさばく包丁を作ったそうで、京都出身のその若者は「その後、他の人達に真似されまして。。。」と言う内容をはんなりと柔らかく話していた。
その後、彼は包丁のお客さんでもある行きつけの寿司屋に行き、大将の握ったコハダを食べながら「いつもうちの包丁を使って頂いて有り難うございます。使い勝手はどうですか?」
とたずねた。
大将は「まあ、ええ塩梅やね」と答えていたが、2人は今では良く呑みに行く間柄で、若き職人はいつも大将から指導されているらしかった。
私はその場面で何度も「作り手と使い手」と言う言葉を耳にした。
私は彼らが潔く、とても爽やかに思えた。
特に包丁鍛冶職人の若者は直接、大将に礼を述べ、使い具合を聞けば対応を迫られる場面もあるはずで、その姿勢が気持ち良かった。
私が自分の店でオリジナルを展開して十数年になりますが、当初、東京の安藤製靴にも製作を依頼していました。私はデザイン(型紙)、革、色、ソール等を指定して、出来上がった靴を店で販売し、地元タウン雑誌に広告も出しました。
そして当時のエージェントのWとともに、安藤製靴のショップをたずねては、お客様の反応やそれを含めた要望を安藤さん夫妻に伝えました。
安藤さんはとても喜んで下さると同時に、私には何かとても戸惑っていらしゃった様に感じました。
それは私が製造に関して素人で、靴型や金型などの設備投資やロットをこなして行く事への実現が困難に思われたのかも知れません。それはセントラルでも同じ事で、時々話しも聞いてもらえない事がありました。(今でも同様な事があるようで、ジェームスのおかげで靴が作れています。ジェームス有り難う!頑張ってくれ!)
私がちょうど、「使い手と作り手」の間で悩んでいた時に「ハンドメイド靴を扱ってみないか?」と話しがありました。
それは2001年の秋頃で、職人は師匠のもとから春頃に年季明けする予定だと言う事でした。
そしてその職人が高野圭太郎でした。
私はその日から真剣に悩みました。
当時、ハンドメイド靴は9分仕立てのパターンオーダーで¥78,000からしましたし、ラスト開発と設備投資、デザインや革等も1から決めなくてはならず、特に私は「どうせならお客さんが喜ぶよい革で作ったら。。。」と革の勉強と調達も自分の仕事と思い込んでしまい悩みに悩みました。
そして「使い手」と本当に真剣に向き合いながら,この道を進む事が出来るのなら、「作り手」であるこの若い職人と共に私が勉強して行かなければならないのではないかと決心して、エージェントに彼の1足目のサンプルを依頼しました。
それから私は「作り手」の高野と共に靴作りを通して多くの事を学びました。
そして「使い手」である沢山のお客様とのやり取りの経験も私の「身」になりました。
その後、「アバンティ」を創業する川村さんと出逢い、靴職人の常世田哲とも出会う事が出来ましたが、私は相変わらず「使い手」の要望、反応を通じて「求められるであろう内容」の企画をジェームスに(セントラル)、高野に、常世田に、見国さんに、ファニーに、ベルギーに、R&Dに、革問屋や革メーカーに伝え、依頼し、
それから「使い手」のお客様には様々な依頼に応えると共に、職人達の技術の素晴らしさや彼らの(私達の)苦難、革加工、靴加工の現状、革製品を長く大切に使う為の方法など、沢山の事について伝えています。
また時々、「革(皮)は動物の命の一部」で長く大切に愛着をもって使う事への意味と価値を話します。
アバンティ川村さんや店のスタッフには「作り手」と「使い手」の両方のことについて話しています。
高野と小松君が「クレマチス銀座」を開いてから、今でもずっと高野の靴の多くの「使い手」の皆さんがクレマチスに来店され、彼の靴のことについて楽しそうに話して行くそうです。
私はそれを聞かされるたびに「仕事をしているのに時間を取らせて悪いね。。。」と思っていましたが、高野も嬉しそうなので、最近は私も平気になりました。いや、むしろ嬉しいです。
クレマチスを始めたばかりの高野が沢山の「使い手」直接会って話しをする事は「作り手」として一度に沢山の勉強になったに違いありません。常世田にも同様の緊張した楽しい経験が出来る事をいつも祈っています。
「作り手」の皆さん、皆さんの事はちゃんと「使い手」の皆さんに伝わるように一所懸命対応していますよ〜!皆さんの思いまでがどれだけ伝わっているか分かりませんが、、、い〜や!絶対に伝わっているのです。だって皆さんのおかげで私達の所に対応を信じる人達が沢山リピートしてくれて、新しいお客様も増えているのですから。
学生時代、友人の西房君が日大の芸術学部に在籍中、私はそこの学園祭で初めて手相を見てもらいました。
「あなたは色んな所へ行き来する仕事を持ちます」と言われ、当時教員を目指していた私は「ツーリストになるのかな、俺?」と思ったものでした。
私があちこちへ動くのは当然の仕事です。それは「作り手」の皆さんのおかげで私の願いが叶うのですから。
それは悩みや不安をかかえていたり、嬉しそうに期待に満ちた顔をして、私の店のドアを開けて来る人達を私は愛してやまないからです。
by kokon-y
| 2013-01-17 15:50
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